純ジャパから見た海外・帰国子女から見た日本

正反対の二人が海外経験を通して得た出来事をお届け。

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海外に住んで視点が変わって見えてきた世界

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アメリカのThanksgiving辺りからの時期が好き。知らない人と少し話しただけで別れ際に”Happy Holiday!”というからだ。

なんだかとても幸せな気分なるのは私だけだろうか?

クリスマスの日は彼の実家でクリスマスパーティー。といっても、1か月前にThanksgivingでほぼ同じメンバーで集まったし、12月は家族の誕生日があるので同じようなパーティーをしたので、全く久々な感じはしなかった。

その前日の国際的なルームメイトとのパーティーとは180度正反対のアイリッシュアメリカン一家。全員ボストン周辺で生まれ育っている。

前のThanksgivingの時の記事で、この時期になると家族が恋しくなると言ったが、やっぱりクリスマスも同じような気持ちになる。


今日は家族との時間の大切さを学んだときの話。

それは、初めて留学した19才のカナダ留学。

留学をすれば、自分の将来の夢を見つけることができるかと思っていた。

私が「家族」との時間を考えるようになったのはこの初めての留学の時。それまでは、日本にいても全く家で過ごす時間がなかった。暇さえあれば、友達と遊んだりバイトを詰め込んだりして家族と過ごすのはきっと家族旅行くらい。

そんな私がなぜ、海外に来て家族に対する考えが変わったかというと、カナダ・アメリカ人みんなが自分の時間というのを大切にしているから。仕事とプライベート、そして家族の時間。

私はフィリピーナカナディアンのお家でのホームステイだったのだが、何かがあるとその度にパーティーを開き沢山の人を呼びお祝いをする。夜は家族みんなで食事をし、休日も一緒に過ごせる時は一緒に過ごしているのだ。それに加え、お父さんと娘がハグしたり"I love you"と言っている光景を目の当たりにしてカルチャーショックを受けた。だって日本のお父さんと娘って絶対にスキンシップしないイメージ。

この家族の移民の決意の話を聞いてとても驚いた。子どもが生まれてからフィリピンで育てるのは将来の子どものためにならないと移民を決意。子ども3人で一番下の女の子は生まれたてだったのにも関わらず最初はバングーバーへ。9ヶ月過ごしあまりいい仕事が見つからなかったのでトロントに引っ越を決意。トロントでは仕事が運よく見つかり私当時でトロント在住8年目。

お母さんは会計士、お父さんは最近仕事を辞めてナースになるために学校に通い始めたらしい。この年齢で仕事を辞めて学校に通い始めるという発想が日本ではなかったのでとても衝撃を受けた。

当時、カナダでベビーシッターもしていて、その家族からの影響も大きい。高校の教師をしているカナダ人パパと、グラフィックデザイナーの日本人ママの間に生まれた当時3才と6才の女の子たちの面倒をみていた。私がお姉ちゃんを小学校にピックアップしに行き家に連れて帰り毎週土曜日に通っている日本語学校の宿題を教える。そして6時前くらいにパパが妹をピックアップし帰ってきて料理をするの。パパの料理がこれまためちゃくちゃ美味しい。それに夏の間は家庭菜園までしていて、子供たちと今夜のご飯に使う野菜を一緒位摘んでいる光景をみて、とっても羨ましかった。

お母さんが家に帰ってくる頃には夕食ができていて、ママをお迎えするときの子供たちとがとっても可愛い。日本語はお母さん・英語はお父さんととなっているので「お母さ〜〜ん」と呼んでお出迎えする。

ママが帰ってくるとベースメントにあるビール用の冷蔵庫から私の分のビールも取ってきてくれて、ベビーシッターの分際でほぼ毎回ビール→ディナー→食後の赤ワインをご馳走になっていた。私はまだお母さんが家事を中心にするかていう家庭ばっかりみていたので、パパがこんなにも家事をしているのを目の当たりにして衝撃が走ったのと同時にこういう家庭を築きたいと思った。

上でも言ったように、カナダ留学をする前は、留学をすれば自分の将来の夢を見つけることができるかと思っていた。

英語圏の国に行ったこともなければ長期で住んだことがない。日本とは別世界の国。東京えでは見つからないものがあると、答えがあるはずだと思っていた。

実際に行ってみると、留学ってこんなものかという現実。もちろん文化の違いなどはあるが、思い描いていたものとは違い、人生が180度変わるような経験・自分の将来のやりたいことは正直見つからなかった。

海外に答えがあるわけではないんだと気付いただけでも一歩前進。アクティブに色々なボランティア(女性権利の署名運動や、ホームレスの人に洋服を貸してあげる団体、日本語とのバイリンガル幼稚園のクリスマス会のお手伝いなど)をして活動していたし、ダンスレッスンも受けたりして、その辺のただの語学留学生にだけはなりたくなかったので当時なりにやれるだけのことをしてからの答えだったので満足。

このカナダ留学では、家族の大切さを学んだ。

お母さんは家庭的でも、お父さんは仕事人間であまり家庭的なタイプではなかったので、このカナダで出会った家族のような時間を過ごすことがなかったし、こういう映画みたいな人たちがいるんだと最初はとても衝撃的だった。

いつか自分の家族ができたらこういう風になりたいと思った反面、自分も家族の時間を大切にしようと決意し帰国。

そんな中、日本に帰国2週間後に起きた3。11の大震災。昼間の3時なんてみんな学校やバイト、仕事をしている時間帯なのだがお母さん以外なぜか家にいて、お母さんも徒歩圏内で働いていたのでバラバラになることなく家族の無事が確認できて安心したのを覚えている。あの後も様々な予定がキャンセルになったので、家族で過ごす時間が多かった。

兄弟が大人になるにつれてみんなそれぞれのことをしているので家で一緒にご飯を食べる時間は減ったし、私もアメリカに引っ越してしまったので家族が揃う機会は年に1、2度しかないが、それも私の選択。家族と過ごせる時間が貴重なので、過ごせる時はゆっくりと過ごそうと思う。

そんな中今年は1月に緊急帰国をし、6月中旬から9月頭まで日本で過ごした。こんなに長い期間日本で過ごしたのは渡米以来の3年ぶり。それにお母さんと妹が9月にボストンに来てゆっくりと過ごすことができたのはとても大きい。

そして実は今、日本一時帰国のフライト真っ最中!バンクーバーで乗り換え中にこの記事を投稿しています。日本に帰るのは、全く久しぶりな感じはしないけれども、やっぱり帰れるのは嬉しい!

次の記事の投稿は日本から。

Ciao!