純ジャパから見た海外・帰国子女から見た日本

正反対の二人が海外経験を通して得た出来事をお届け。

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【Throwback 2015】家族のありかた

今年ももう残すところ後11日。2015年1月1日を迎えたのがつい昨日のようにも感じる。今年は本当に時間がすぎるのが早すぎた。

今月になって今年を振り返るシリーズで週一回ブログの記事を書いている。

1回目は人間関係について、出会いや別れがあった年だ

2回目は自分の成長に関して


 

3回目の今日は「家族」について振り返りたい。

家族の本当の大切さを知ったのは親元を離れてから。多分これは私だけではなく誰もが親元を離れなければ本当の大切さを知ることは出来ないのだろうと思う。

私は4人家族。父、母、私と6歳下に弟がいる。彼らは今タイに住んでいて、私はアメリカ。一年で彼らに会える期間はほとんどない。

父は写真家。私が幼い頃はよく出張で家をあけていた。でも出張から帰ってくるときには必ずおみやげをくれたり、夜本を読み聞かせしてくれたり言わいるファミリー・マンだ。今流行の言葉で言うと・・・イクメン?私はパパっ子で今でもすごく仲良しだ。相談にも乗ってくれたり、何でも父には話せる。

私の母はライター。日本に住んでいるときは雑誌に記事を書いていたり、本を出版したりしていた。母と私の関係はややこしい。過去には何度もぶつかり合い時には怒鳴り合いもした。彼女も私も頑固だからだろう。でも今では母、子としてではなく一人の女性として向き合えるような仲になっている。

6歳下の弟とはふざけ合ったり、頼りあったり。多分相当仲の良い兄弟だろう。私が家に帰ると構ってほしく一緒に寝っ転がりながら映画を見たり、買い物に行ったり。今年は高1でそろそろ大学の進学について考え始めているので、よく電話で相談に乗るような仲だ。

そんなこんなで父と母はよく仕事で家をあけたり、私はアメリカに住んでいたりであまり家族で顔を合わせることがない。夏に私がタイに帰った時も父が出張で日本に行ったりで家族4人で会ったのは一年で一週間ぐらいだと思う。

正直家族なのにここまで会えないと辛い。でもこれが留学、大人になるということなのかもしれない。

地元で育ち、地元に住んで、同じ地元で自分の家族を築き上げるというのもいいのかもしれない。親は徒歩か車でちょっと行ったところに住んでいて会いたい時には会える。正直ちょっとうらやましい。

でもなぜ、うちの家族はこうやって遠く離れて暮らすことを選んだのか。それは多分一人一人に夢があり、その夢を叶える場所が偶然違ったから。そしてお互いそれを尊重しあっているから。父と母はタイに仕事がある。全部引き払ってアメリカに来るということも出来ないことはないのかもしれない。でも彼らには彼らの生活があり、タイと言う国が彼らの選んだステージ。そして私は高校を卒業とともに渡米した。それは私がアメリカでの教育を選び、その選択を家族が全力でサポートしてくれたから。

年を重ねるにつれもっと家族の大切さが身にしみる。彼らがサポートしてくれるから今の私がいる。今まで私がやりたいと言ったことに対して頭ごなしにNOと言われたことがない。3年前の夏休みにロンドンで研究が出来るという話が出た時も「行きなさい」と迷う私の背中を押してくれた。ダイビングのプロのライセンスを取る時もまだ18歳になったばっかりの私をタイの南の島に一人置いて「がんばりなさい」とサポートしてくれた。

今年は大学卒業後のことでバタバタと忙しかったがそれも私を信じてサポートしてくれている。

少ししか会えないが今はテクノロジーのおかげでスカイプで話せたり、ラインでメッセージのやり取りが出来る。でもやっぱりこのホリデーシーズンに会えないと思うとすごく寂しい。

3年後には弟も親元を離れているだろう。そうなると家族が散らばりよりみんなで集まるのが難しくなるのかもしれない。だけどもお互いが選んだ道を全うし、それぞれのステージで頑張る。それが今私に出来る恩返しであると思っている。

今年もたくさんのパワーをくれた家族。

まだ2016年は始まってないが、次家族に会えるのがもうすでに楽しみだ。