純ジャパから見た海外・帰国子女から見た日本

正反対の二人が海外経験を通して得た出来事をお届け。

New Podcast
海外に住んで視点が変わって見えてきた世界

【UNO】Love & Peace

12/10はHuman Rights Day: 世界人権デー。国連の「世界人権宣言」を記念する日。

私の初海外は6年前の18歳の夏。ボランティアサークルとして1ヶ月間ミャンマーで過ごした。正直、ミャンマーに行くまでは、まだ自分という人間がこんなにもちっぽけだなんて思ってもみなかった。

大学受験を控えていた高校3年生、国際協力に興味のあった私。自分が発展途上国を変えるんだと意気込んでいた。発展途上国の国の方針から変える、私がその手伝いをできればという思いから、法学部法律学科へと入学した。

その気持ちのまま、入学したと同時にミャンマーとベトナムの教育支援をしているNPO法人の学生国際協力ボランティアサークルに入り、同じ年の夏にミャンマーに行くこととなった。

当時はまだ軍事政権。私の行った2年前の2007年にカメラマンの長井さんが、僧侶が行った反軍事政権に対するデモの撮影中に射殺された。私の周りのサークルの子も、家族が反対をして行かせてくれない人もいた程。私はというと、もちろん行った。親も反対すらせずに、「どうせ何言っても行くんでしょ」と理解のもと行かせてもらった。

ヤンゴン空港に降り立った瞬間から、かなり圧倒されたのを覚えている。モワッとした生ぬるい空気、夜なのに蒸し暑い気温。自分のスーツケースを勝手に運ぼうとする人を押しのけると、タクシーのドライバーが自分の車に乗せようとお客さんを奪い合う。同じアジア人なのに、肌の色も違えば、日本人に比べて一回り小さく小柄。服装も違い、少し汚らしい服装を着ていて、空港にはジーンズを履いている人もちらほらいたが、ほとんどの人はロンジーという長い布を巻いているだけ。

日本で生まれ育って、海外は情報として触れるくらいだったので、実際に現地に行った時の体験が想像以上に強烈だったのを覚えている。特に、アメリカと違ってミャンマーの情報なんてサークルの先輩に話を聞く以外、全く知らなかった。

一ヶ月間、ミャンマーの色々なところに行くことになるのだが、ヤンゴンという本首都の一番栄えている都市の中でも物乞いの人がたくさんいたり、道に机を持ってきて働いている人たちも沢山いたり、道にある屋台のレストランではまだ中学生くらいの人が毎日働いていて学校は行っているのかととても疑問に思った。

最初の一週間は現地の状況に慣れるのに精一杯。街の独特な匂い、食事、昼間起こる停電、汚いトイレ、水シャワー、働いている人全員がマイペースでのんびりとしたマーケット、インターネットカフェ、噛まれたら変な病気に感染しそうな野良犬、ホテルでご飯を作り、ベットメイクをし、とずっと働いている女の子たち。

軍事政権で、海外のマーケットがミャンマーに全く入っていない頃だったので、よくあるアメリカのチェーン店が1つもない。なんだかひと昔前の日本にタイムスリップをしたような状況。まだみんなが民族衣装を着ていて、西洋化されていない国。街中は、日本の中古車が走っていて、日本から来たと分かる実際の地名なんかも記載されているバスも走っていたりした。

初めての海外。ミャンマー語は「指差し会話帳」を見ながら。英語を話せる人とは、英語で会話をしたが、当時私は英語も少ししか話せなかったので、ミャンマー人とは満足したコミュニケーションも取れずにいる自分に苛立ちを感じた。それと同時に、私が国の方針を変えるとか言っていたけれども、私という存在は世界に比べたら本当にちっぽけなんだな、無力だ、と思い知らされる結果となった。

世界平和はもちろん願いたいけれども、自分一人の力で大きなことを変えるなんて到底無理。日本という守られた環境に居て、平和ぼけをしていたのを身にしみた。世界ではこんなに貧しい国の人がいて、悲しいことにテロも世界のいたるところで起きている。発展途上国がいかに貧しいかという話をしだしたらきりがないし、中東では戦争で毎日何人もの命が奪われている。一人一人の人が平等な権利を与えられているはずなのに、その人のいる環境で全ての人生が変わってしまう。

私も世界の役に立ちたいとはもちろん思うけれども、結局自分のできることは身の回りの人を幸せにすること。無理をせずに、自分のできる範囲からしていくことを世界中の人みんながすれば、世界平和に一歩近づくことはできるだろう。

Human Rights Day 世界中すべての人が平等、正義、思いやりを持って生きることが保証される日が近づきますように。

自分のできることからコツコツと。

Love & Peace