純ジャパから見た海外・帰国子女から見た日本

正反対の二人が海外経験を通して得た出来事をお届け。

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海外に住んで視点が変わって見えてきた世界

【SANO】みんな違ってなにが悪い?

私は人生の約半分を日本国外で過ごしている。 もう1、2年もすれば半分以上海外に住んでいることになる。

新たな土地に暮らすということは言語だけでなく、そこの文化や考え方も学ぶ。今日は私が日本を出て、インターナショナルな世界に出て学んだことについて書こう。それは、

Be different. You do you.

日本語で言う「十人十色」的な意味をもつ言葉。

日本の小学校に通っていた時は「みんな同じ」と言われ続け、他とちょっと違えば変な目でみられたり、いじめにあったり。今でも日本のいじめ自殺問題は改善されていない。ツイッター、Facebook、Lineのおかげで人と繋がるのが簡単になってきているが、それと同時に見えないところでいじめに合う人が増えている。

もちろんこれにはたくさんの理由があるとおもうが、その一つに日本の教育は統一性を求めていることだと思う。これは学校内と学校外、両方とも。

私が通っていた保育園は他とは違い、ひとりひとりの良さを尊重してくれるようなところだった。みんな裸足で園庭を走り回り、一日数回洋服を変えるぐらいドロドロになって遊んでいた。周りと比べるよりも楽しければ何でも良かったのが保育園時代。だから小学校に入って一年生が始まった時に正直息苦しかった。ルールは多いし、同じが一番、同じが安全。

もともと周りにすべて合わせることが好きじゃない私は小1の時によく問題を起こしたものだ。多分自分なりに周りが押し付けてくる「みんなと同じ・周りと合わせる」という概念に対抗しようとしていたのかもしれない。 でもそんな反発力も小学2年、3年にもなると周りにすんなりと合わせられるようになり、逆にみんなと同じじゃなきゃ不安になっていた。同じような筆箱を買って、同じような服を着て、同じようにしゃべっていた。

そのまま成長してタイに引っ越したから最初は違和感マックス。 だって同じって概念がタイではあまりなかったから。一番迷ったのは誰に合わせればいいのか。

今こうやって振り返って書いてると自分なにやってたんだか!って思うけど、当時は必死だったの。

インターナショナル・スクールに入って、国際人に混じって生活し始めてからやっと目が覚めたかも。特にインターではみんな国籍が違ったり、宗教が違ったり、肌色が違うから「違う」ってことが当たり前だったのかもしれない。

これがあったから私のクレイジーな性格が開花したと言っても過言ではない。今は周りにとらわれず自分の道をひたすら走り続けている。もちろん自分のやりたい放題ではないし、合わせなければいけないところは合わせる。例えばビジネスミーティングにスエットとパーカーでは行かない。

もちろん大人になれば仕事付き合いだったり、TPOを考えなければいけなくなる。常にジーンズ+T-シャツでいたい私にはこれがチャレンジングなこと。

私が言いたいのは周りに「どうこう思われるから」という理由でやりたいことに挑戦しなかったり、周りに「変な目で見られる」からという理由で違うこと、新しいことをしないのはつらすぎるということ。

周りと違うファッションが好きだったら自己流のスタイルを突き通せばいい。 友達と一緒のことがしたくなければNOといえばいい。 周りよりもちょっと太ってたり、肌が黒かったり、背が低かったりしても別にいいじゃないか。

遺伝子レベルで人間ってほとんど同じだけど、すごく違う。遺伝子全体をみたら人間と猿は98.4%が同じといわれている。大きな視点からだったら人間同士のDNAはほとんど変わりがない。でも一卵性双生児とクローン以外100%同じ遺伝子を持った人ってこの世にはいないんだよね。遺伝子のミクロな違いが私とアナタを作っている。だからみんな違う、遺伝子レベルでも、外見も、考え方も。もうみんな生まれつきちょっと違うんだから、その違いがちょっと大きくなっても変わりはあんまりないと思う。

この世界みんな一緒だったら楽しい事なんて一つもない。みんな考え方が違うからお笑いがあったり、感動するアートがあったり、世界を救うような発見がある。

だから I do me. So you do you!

私も今は保育園時代のように少しは自分らしく生きてるかな。

自分らしく生きるのに恥ずかしがらなくていいじゃん。 自分らしく生きるのに怖がらなくていいじゃん。 自分らしく生きるのに背を向けなくていいじゃん。