純ジャパから見た海外・帰国子女から見た日本

正反対の二人が海外経験を通して得た出来事をお届け。

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海外に住んで視点が変わって見えてきた世界

Turning Point is just beginning...

「いつからそんなにアメリカかぶれになったの?」

こんな質問をよく聞かれる。

私は正真正銘、日本生まれ日本育ち、純ジャパニーズ。両親だって英語を話せないし家族旅行で海外なんて行ったことなかった。義務教育、公立の高校、大学受験、大学生と本当に典型的な日本の学生を送っていた。大学1年生の12月までは。

人生のターニングポイントは?と聞かれたら間違いなく大学1年生のサークルでの選挙日のことを思い出す。

大学1年生、当時18歳。海外への憧れはとても強く、大学合格が決まって最初にしたことはパスポート作り。「発展途上国の政治を変えて国の根本からサポートしたい」という想いから、法学部法律学科へ入学。ボランティアサークルに入るんだと意気込んだオリエンテーション。NPO学生法人のミャンマーとベトナムの教育支援をしているサークルに入った。

その中でも、一番面白そうで私にあってそうなビジネスチームという「ミャンマー/ベトナムの現地の商品やオーダーメイドをした雑貨等を日本で販売し、その利益をお金ではなく物(パソコンや、筆記用具、スポーツ用品)で還元する」というチームに入ることに。簡単に言うと、現地に1ヵ月、年に2回買い付けに行くチーム。日本ではグローバルフェスタ等のイベント、学祭、学校付近のローカルイベントで販売をした。委託してもらっているお店とのコミュニケーションをとったり、オンラインサイトも少しだけしていた。これらの売れ行きを分析して、何を買い付けるかを決めたり、いくつかバイヤーオリジナル商品を現地で買ったり、在庫が有り余っている商品を現地でリメイクしてもらったり、日本で流行っているワンピースをサンプルに現地で布を選んでオーダーメイドで作ってもらったりと、今思い返してみても学生団体ながら面白いことをしていたなあと思う。

私はとても生意気な新入生で(今でも変わってないけど)、夏休み毎日朝から晩まである意味不明なミーティングにそんなに出る必要がないと週2回くらいしか行かなかったり、たまに出たはいいけど自分の意見を言いまくって議論する、そんな1年生。あ、でも現地でソーラン節を披露するためにみんなに教えてフォーメーションを考える係だったからそれだけはちゃんとしてたけど笑 こんな仲がギクシャクしていてこのチーム大丈夫かと心配していたミャンマービジネスチームも、一ヵ月も現地で共に過ごすので結束が固まり仲良く帰国したことは言うまでもない。

事前報告会 → 現地 → 事後報告会 と、3か月に渡る大イベントを終えて次にやってくるのが選挙。ビジネスチーム前リーダーが2年生ということもあり次のリーダーは私たち1年生の代から出した方がいいのはということと、誰も候補者がいなさそうだったので、私が立候補。現地活動を終えて、とてもモチベーションに満ちていたので私の中では自然の流れだった。選挙立候補者が発表されたその日、私はとても衝撃を受けた。もう一人候補者がいたのだ。発表されたすぐ直後にその子から気まずそうに連絡が入ったのを覚えている。

私たちはとても対照的で、オンラインサイトの活性化、新委託店舗の開拓をしたいというのを強く推していた改革派。その子は現段階の委託店舗との関係性を深めたい、在庫管理や売れ行きを見直すという保守派。

結果は、保守派の勝利。

私は自信があったし、「ビジネスをよくするには私が思ってることしなくてどうするの?」という想いで選挙に挑んだので、この結果に本当に落ち込んだ。救いはサークル担当の元JETRO職員の教授が選挙の後で、「君の意見に賛成だ。こういう人がリーダーにならないからこの団体はだめになるんだ」と言ってくれたこと。

この選挙の結果が、私のその後の将来を考え直すいいきっかけに。昔から留学をしたかった私。サークル自体はとてもいい経験になったけれども、大学の授業に面白みを感じなかったし、大学生飲みが好きじゃなかったしでこのまま日本にいていいのかという思いがだんだんと強くなり、選挙数週間後に留学を決意。留学会社へも一人で説明をすぐ聞きにいった。両親には、「自分の将来を今探すために留学をしたい、このまま大学にだらだら行きたくない、金の無駄!」と説得。もちろんお母さんと喧嘩もしたし、たいして英語を話せなかった私に色々な人からの意見が突き刺さったけど、休学するのはお金がかかるけど、退学は無料だから!復学は2年以内ならできるから、という理由で1年修了時に退学。晴れて6月にカナダのトロントに9ヵ月の語学留学をすることになる。。

That's how my adventure life has began.

当時はあれだけ力になりたかったこのサークルから身を引くことに罪悪感を感じたし、あともう1年は残ろうとも考えたりもしたけれども、あの瞬間で早めに決断をしてよかったと思う。こう振り返ってみて当時の根本的な考え方が変わっていないことに安心し、この大学1年間でやっていたことが現在の仕事に関連していて、全て繋がっていたんだなあと感じる。

これが、まぎれもなく私のターニングポイント。


初めまして、みなさんunoのサキーです。英語だとSakieをサキーと読むのでサキー。

昔から何か自分自身を表現できる事がしたいなあって。何事も身の回りの小さいことから始まるもので、それすら始めなかったら、大きな夢なんか一生叶わない。今更自分の事隠して生きて行くのも馬鹿らしいし、普通の人に比べたら結構面白い生き方してきたと思うから。ちょっと日本語下手くそなんだけど、このページを通して色々な人に会えますように。

今回、この夏に偶然の巡りあわせで出会えたアミーと一緒にこの場でアウトプットするのは本当に自然な流れだった。

「unoとsanoの足あと」まだまだ初日。これからもっと面白い事書いていくのでよろしくね。

Peace Out! Live, Laugh, Love